東京大学原子核科学研究センター
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冷却重元素を用いた量子精密測定で拓く新しい物理

反物質消失機構、暗黒物質の実体など、宇宙太古の物質創成の歴史を、基本対称性の破れを軸足に、解明して行きます。 極端な構造をもつ重い原子核では、相対論効果や原子核の変形効果により、微小な基本対称性の破れが増幅され、対称性を調べる顕微鏡の役割を果たします。 この重元素を原子核反応で生成するとともに、レーザー冷却技術を駆使して重元素の量子状態を制御し、原子干渉計を用いた精密量子計測によって、物質・反物質対称性の破れの謎を探索して行きます。

  • 光格子原子干渉計を用いた永久電気双極子能率(EDM)探索
  • 原子核媒質中の弱い相互作用を探るアナポールモーメント実験
  • 異種原子共存磁力計の開発

を進めています。

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フランシウムとその生成

私たちのグループでは重元素のうち、特にFr (フランシウム) を対象に研究をしています。Frは原子番号87番の元素で、2025年4月までに発見されているうちで最も重いアルカリ元素であり、この特徴がFrの顕微鏡としての役割を際立たせます。

一方で、Frを使った実験は一筋縄ではいきません。私たちの身近に存在するリチウム (Li)、ナトリウム (Na)、カリウム (K) などのアルカリ元素とは異なり、安定同位体が存在しないため、加速器を用いて人工的に生成しなければ十分な量を得ることができないのです。
基本対称性グループでは、理化学研究所の加速器施設でFr原子を生成し、レーザー光を使って真空中に捕獲するための実験装置を開発しています。

Frを生成するための方法はいくつか知られていますが、国内の小規模な加速器で高効率で生成できる方法として、Au (金) の標的にO (酸素) のイオンビームを照射し、核融合反応させる方法を用いています。
AVFサイクロトロンという加速器を用いて Oビームを100 MeV (10000 km/s、光の速さの3%程度) くらいまで加速してAu標的に打ち込むと、0.001% 程度の割合で複合核Fr-215を形成します。こうしてできたFrは、Au標的を融点(1000℃)付近まで加熱することで固体内部を拡散し、100秒程度で表面に到達し、やがてイオンとして脱離します。Au標的に正の電圧を印加してイオンを押し出すことで、Frのイオンビームを生成することができます(図1-2)。

このような機構を実現するための「表面電離イオン源」(図1-1)を2019年に開発し、翌年の実験では国内最大強度となる毎秒6.7×10^6のFr-210イオンビーム引き出しを達成しました(図1-3)。

図1-1. 表面電離イオン源の真空チャンバー。

図1-2. Au標的(中央の金色の円盤)と、イオンビームを成形するための「竹舟」電極(円弧型の屏風のような部分)。

図1-3. 表面電離イオン源から引き出されたイオンビームを金属板に照射し、そこから放出されるアルファ粒子の個数を粒子エネルギー別に計数した結果。6500 keV 付近に、Frに由来すると見られる顕著なピークがある。

生成したイオンを原子に変換し、捕獲するためには、金属表面との荷電授受を利用した中性化装置や磁気光学トラップを用います。
これらの一連の装置を加速器ビームラインに接続する形で組み上げ、実験を行っています(図1-4)。
原子核の散乱実験とは異なり、実験で扱う対象はエネルギー 10 eV のイオンビームや数百 μK まで冷却された原子など、きわめてエネルギースケールが低い領域になります。
また、通常の冷却原子実験とも異なり、放射線環境下ですべての装置を動作させなければならない点、またビームタイム以外ではFr原子を使うことができず、別の原子で装置の最適化を進める必要がある点など、技術的なチャレンジに富んでいます

図1-4.

レーザーを用いた原子の冷却

レーザー冷却の一種であるドップラー冷却では、図2-1に示すように、原子の共鳴周波数よりもわずかに小さい周波数を持つレーザー光を照射します。
この時、原子は光子を吸収して励起状態となり、光子の持つ運動量を受け取って減速します。
ある時間経過すると、原子は再び光子を放出して基底状態に戻ります。この時原子は光子の反跳を受けますが、自然放出によって原子が吐き出す光子の方向はランダムのため、時間平均して反跳運動量はゼロとなります。
このような光子の吸収と放出という冷却サイクルを何万回と繰り返すことで、室温で300 m/s程度の速度を持つ原子は数 m/s程度まで減速されます。
3軸方向から対向するようにレーザーを照射すれば、原子は3軸方向に対して減速されます。
さらに、アンチヘルムホルツコイルで形成する磁場勾配と組み合わせる磁気光学トラップによって、数100 μKまで冷却された原子が空間的に捕捉されます。たとえば、図2-2は、100 μKまで冷却されたルビジウム原子の蛍光をカメラで撮影した画像です。

図2-1.

図2-2.

Frは安定同位体が存在せず、上述の通り、加速器を用いた核融合反応によって生成する必要があり、加速器が運転できる限られた時間しかFrを用いた実験ができません。
そこでレーザー分光室では、安定アルカリ原子であるルビジウム (Rb) とセシウム (Cs) も対象にして、精密Fr-EDM測定実験に向けた研究開発を進めています。

レーザーを用いて原子の冷却や精密分光を行うためには、原子種ごとにそのエネルギー準位に合わせた周波数のレーザーを用意し、安定化させる必要があります。そこで、Rb、Cs、Frそれぞれの周波数に合わせたレーザーを開発するとともに、ガスセルの吸収線等を用いてフィードバック制御をする分光系や電子回路を構築し,狭線幅のレーザーを日々運用しています(図2-3)。

図2-3.

光格子共存磁力計

さて、原子の精密分光を行うにあたり、ドップラー冷却のために照射する近共鳴のレーザー光は原子の量子状態を破壊する邪魔者です。
そこで、非共鳴レーザー光の定在波によって作られるポテンシャル、通称“光格子’’中に原子を移行します。
原子は、非共鳴レーザーの光電場と相互作用することで、シュタルクシフトと呼ばれるエネルギーシフトを引き起こし、光電場が強いほど原子のエネルギー準位が小さい方へ下げられます。
その結果、光電場の大きな定在波の腹に原子がトラップされます。

さて、Frをこのようにドップラー冷却限界温度以下まで冷やし、光格子中にトラップすると、自然界に潜む基本的対称性の破れの効果を探る有望なプローブとなります。それは、重い原子で顕著となる相対論効果や原子核変形による効果が対称性の破れを増幅するためで、この増幅効果はしばしば“顕微鏡’’に例えられます(図3-1)。一方で、この顕微鏡はまた外部磁場や光電場といった外乱に対しても極めて敏感のため、それら外乱の検出と補正を行う必要があります。そこで、対称性の破れを増幅する効果の小さい軽い原子を光格子中にトラップし、それらの原子を量子計測した情報から、磁場や光電場を抽出しようというアイデアが、光格子共存磁力計です(図3-2)。
2024年にはRbとCsを同時に光格子中に捕獲することに成功し、量子非破壊測定として知られるファラデー回転効果を利用したスピン歳差周波数の測定により、磁場と光電場の同時抽出に成功しました。
今後はさらに測定精度を向上させていくとともに、特異な量子現象を用いた新たな測定手法の検討も進めています。

図 3-1.

図 3-2.

レーザー冷却実験はテーブルトップ実験の一種で、比較的小規模のため、個々人のアイデアが実験を推進していきます。本研究で使用しているレーザー光源や電子回路、真空装置などは自分たちで設計・開発したものであり、自ら作製した装置を用いた実験は魅力的な点の一つです。

異なる同位体 221Fr の開発

Fr-210の同位体であるFr-221は、Ac-225(アクチニウム225)のα崩壊によって生成される、半減期約5分の不安定な核種です。Ac-225は約10日間の半減期を持ち、長期間にわたってFr-221を放出し続けるため、Fr-210とは異なり、加速器を使用せずに数週間にわたる実験が可能です。

また、Fr-210とは異なり、核スピンが半奇数であるFr-221は、原子核にクォーク由来の電気双極子モーメントが発現します。Fr-210と並行して測定実験を進めることで、クォークの電気双極子モーメントを測定できる可能性があります。

現在、私たちはフランシウム221の分光に向けて、捕獲と冷却の技術を開発中です(図4-1)。

図4-1. Ac-225 線源を用いた Fr-221 の冷却技術開発